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偽善者が湧いている

昔、いじめられっ子だったんですが、誰も信じてくれない皆川です。こんにちは。

長谷川豊さんのブログ記事をめぐって、かなり激しい批判が起こっています。

岩手県での痛ましい自死に関する、フジテレビの元アナウンサー・長谷川豊さんのブログでの意見に、「怖さ」を感じた。激しい違和感を憶え、どうしても同意できない

「いじめられる方にも責任がある」という、長谷川豊さんの「自殺」に関する見解に激しい違和感(片岡英彦) - 個人 - Yahoo!ニュース


こういった問題は、すぐに感情的に走ってしまう人が出てきて、話をトンチンカンな方へ持っていってしまうことが多い。

上記の片岡英彦さんの批判も、同じく感情に走ってしまって、元記事をちゃんと読めてない典型的な例です。

古くからよくある「いじめられる方にも責任がある」という意見だ。責任ある社会人はこういう発言はすべきではない。


まずここ。長谷川さんはそんなこと書いていません。「それはイジメではない」と言っているのです。「いじめられる方にも責任がある」なんて一言も書いていません。

自死を選択をせざるを得なかった者の立場には全く立っていない。


当たり前ですね。「自殺した人は認めない」って言ってるんですから。

何よりも、こうした「本人の責任」を過度に強調するような社会や周囲の空気自体が、弱い立場の者に対してさらなる閉塞感や同調圧力を生み出す。新たに自死を選択する者を出しかねない。この点については断固反論したい。


長谷川さんの記事の意図がまったく読み取れていません。

あの事件の同級生たち、そして担任の先生、他の先生、ご家族。おそらく長谷川豊さんには、そんな方々を救う意図があるのですよ。

「あなた方が悪いのではないですよ」とメッセージを送っているのです。もちろん世間に対して理解を求めてもいます。


片岡英彦さんの論法だと、あの事件の周囲の方々が悪かったということになってしまいます。

彼らは今、世間の目に晒され、責められ、「新たに自死を選択する者を出しかねない」状況なのですよ。


おそらく、私があの事件の場にいたとしても、おそらく当事者の子を無視したりはしていたんじゃないかな、と思います。

今でも同じようなことはします。「アイツがいると盛り上がらないから、飲み会に誘わなくていいだろ」とかね。これ、イジメですかね。

「そういう人」が「そういう人」として自死を選択せず生きていけることが何より大切だ。


ああそうですか。そりゃそうですね。で、どうすればそれが可能になりますか?

うざいから普通に無視ってたら自殺しちゃった。これを防ぐにはどうしたらいいですか。

自殺しちゃうかどうかの境界線は、人には見えないんですよ。

「こうした性格は、本人の問題だから、これは、いじめではない」そんなことでいいのだろうか?


いいでしょう。そんなに同級生たち(暴力行為に及んだ者を除く)を悪者にしたいんでしょうか。どうせい、というのでしょうか。


片岡英彦さんの批判は「ただの正論」です。正論なんていくらでもあるんです。その内のひとつに過ぎません。

そして、誰も幸せにしない正論です。何の役にも立ちません。

片岡英彦さんの記事は要約すると「オレはイヤだ」しか言ってないのです。


この人、自分が「自殺を選ぶ人」を増やす方向の話をしていること、わかってるのかな。



【 2015/07/29 (Wed) 】 社会 | TB(0) | CM(0)
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